どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
このブログに載せようと記事を書き始めた後で「もうちょい調べものをして正確に書かないと」と思ったまま調査をせずに放置している記事がいくつかあるんですけども、このまま死蔵させてても仕方ないんで、中途半端なままリリースしてみる、という記事です。
ビールと全然関係ない三条市の産業史の話。
前職では、産業振興、特に刃物関係を中心とした伝統的金属製品製造業の仕事をしていました。まあ、いわゆる「鍛冶屋さん」たちと楽しく遊ぶ仕事です*1。
で、三条で刃物関連の仕事をしていれば、あるいは市外でも刃物関連の界隈では、そこそこ知名度がある偉人なのだけれど、市民でも業界に関係ない人にはまるで知られていない偉人に、岩崎航介さんという方がいらっしゃいます。
放置してた記事をタイミング的に今、書き上げてしまえ、と思ったのは、岩崎さんが今年で没後50年ということで、昨日、9月26日(火)から当店から徒歩6分の三条市歴史民俗産業資料館(以下、歴民)で、岩崎さんの企画展が始まっておるんですよ!
岩崎航介さんは、三条の金物屋に生まれたものの、実家がドイツ・ゾーリンゲン製刃物との国際競争に敗れて、ドイツに負けた原因は品質の差にあると考え、日本の、三条の刃物が勝つには日本刀の秘伝を学ぶ必要があるのではないか、と東大文学部に入って古文書を読みあさったり各地の刀工を訪ねて秘伝を調査し、次いで、東大工学部に入り直して、その日本古来の刃物づくりの伝統が科学的に正しいのかを検証した人物です。
終戦直前に地元、三条に帰ってからは息子の岩崎重義さんに自分の知識を伝えると共に、息子を刀工の下に修行に出させて、刃物づくりの実践に取り組む一方、三条市内の鍛冶屋さんたちを集めて勉強会を開催して、品質の向上に尽力されました。
その他、詳しい事績は、歴民の企画展をご覧いただくか、あるいは、岩崎さんの遺稿集「刃物の見方」の、2012年に再発された第3版の巻頭言として、朝岡康二先生の手による略歴が紹介されておりますので、そちらも是非。企画展でも販売しているようです。
ちなみに朝岡先生は、「三条市史」編纂にも尽力された民俗学者です。
さて、岩崎さん、東大を2度出るあたりで、まあ、ちょっと普通の人じゃない感じがビンビン伝わってくるのですが、小説家・吉川英治とのエピソードが、前述の遺稿集「刃物の見方」でも紹介されております。
自分もちゃんと読んだことはありませんが。
とは言え、NHK大河ドラマや井上俊彦の「バガボンド」の原作としてはもちろん、鎖鎌の宍戸梅軒、吉岡兄弟、十文字槍術の宝蔵院、そして巌流・佐々木小次郎との戦いなど、現代日本における宮本武蔵像を定式化した名作、という評価のようです。
また、新聞連載されていたのが、1935年から1939年という日中開戦から太平洋戦争に向かう時代、ということもあって、この小説で描かれた、戦いに挑む武人像が当時の日本人に広く影響を与えたそうです。
岩崎さんは、そのような時代にあって、日本人の日本刀による無理解が小説によって増長されており、また逆に、日本刀への理解を深める上で小説が最も有効、と考えていたところ、この「宮本武蔵」の中でも武蔵の日本刀の扱いに不満を覚え、知人を介して、吉川英治と話す機会を得ます。
詳しいエピソードは忘れましたが、まあ、「刃物の見方」を読んでいただくとして、岩崎さんが相手が吉川英治ということも忘れて熱弁してきた内容が、後日、そっくりそのまま、研師・厨子野耕助*2による宮本武蔵への説教、として小説に掲載されることになったのだとか。
吉川英治、没後50年経ちまして著作権が切れているので、ひとまずそのシーン「かたな談義」全6回は青空文庫でも読むことができます。
刃物、あるいは道具とは何であるか、を1930年代、第2次大戦の暗雲立ち込める時代に、このように考えられた郷土の先輩がおられたことを、是非、皆様にもご紹介したく書き始めた次第。
ちなみに「文明の利器」の「利器」ってのは、「便利な道具」って意味もありますが、本来は「刃物」のことですからね。
「利」という文字は、「のぎへん」つまり穀物に、「りっとう」つまり刀、刃物から成り立っていて、穀物を収穫するときに鋭利な刃物があると作業がはかどる、という意味らしいです。
大変優れた郷土の先輩である岩崎さんですが、繰り返しますが東大を2度出るような特異な人材ではありまして、こういう人材を輩出したのが偶然、三条だっただけのか、あるいは三条はこういう人材を輩出しやすい土壌があるのか。
個人的には、後者だった方が面白いんじゃねぇかな、と思う次第であります。
なお、岩崎さん、自分が人気小説「宮本武蔵」に取り上げられたことを喜ぶ一方、吉川英治には「一点、気に入らない点がある」と抗議したらしいです。
曰く、相手が宮本武蔵と分かったところで何故、謝る必要があるのか、相手が誰であれ、刃物の扱い方を分かっていない以上、正論で諭すまで、と。
…なんつうか、こういうエピソードに接するたび、一度、直接お会いしたかったと思う反面、子息の重義さんや周辺の皆さんも中々の傑物でして、親しくさせていただいている僥倖をかみしめる次第であります。