Beerhouse3営業日誌

ものづくりの街、新潟県三条市でビール屋はじめました

野中郁次郎編著「戦略論の名著」を読む

 どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。


 第2次大戦における代表的な戦闘・作戦での日本軍の組織的失敗について分析した「失敗の本質」の野中郁次郎の手になる新書「戦略論の名著」を読みました。

 

 

 

 「失敗の本質」は、軍事上の失敗を分析していながらも、そこで指摘される数々の失敗は現代の大規模な組織においても散見されるもので、企業や組織の戦略的経営にも示唆に富んだものとして高い評価を得ています。

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 

 本書「戦略論の名著」も、そういう組織経営にも活用できる戦略論を期待して手に取ったのですが、こちらは、かなり軍事戦略に限定された内容です。いや、「失敗の本質」自体もあくまで軍事戦略・作戦の話なのですが。

 

 取り上げている著作は、以下の12冊。

  • 孫武(c.BC5C) 「孫子」(c.BC5C)
  • マキアヴェリ(1469-1527)「君主論」(1513)
  • クラウゼヴィッツ(1780-1831)「戦争論」(1832)
  • マハン(1840-1914)「海上権力史論」(1890)
  • 毛沢東(1893-1976)「遊撃戦論」(1938)
  • 石原莞爾(1889-1949)「戦争史大観」(1941)
  • リデルハート(1895-1970)「戦略論」(1954)
  • ルトワック(1942-)「戦略」(1987)
  • クレフェルト(1946-)「戦争の変遷」(1991)
  • グレイ(1943-)「現代の戦略」(1999)
  • ノックス&マーレー「軍事革命とRMAの戦略史」(2001)
  • ドールマン(1958-)「アストロポリティーク」(2001)

 

 冒頭の総論で、この12冊の共通事項として「『戦史研究』を通して現実を直視しつつ、未来を紡ごうとしている」と評しているとおり、いずれも、過去の戦争を研究しながら、未来の戦争にどう備えるべきかを論じています。

 

 もちろん、これらの軍事戦略論も、一般的な経営戦略に全く示唆がない訳ではありません。

 孫子の「兵は詭道なり」や「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」をはじめ、戦争とは政治的な支配体制を確立するための手段にすぎない、という主張は、本書の各戦略論でもたびたび言及されています。

 戦争での勝利は目的ではない、勝利(あるいは勝利ですらない戦闘継続)が目的化したために疲弊して自滅した例はいくらでもある、と。

 これはつまり、目的と手段の混乱を避けること、として組織経営でも重要な視点と思われます。

 

 あるいは、大きな目的を見失うな、という話と一見矛盾するようではありますが、大きな戦略を現場に落とし込むことに成功すれば、効率的な運用が可能になるけれども、これが成功すればするほど、現場で発見された変化の兆しを見落とし、戦略の転換に失敗する(敵はこちらの戦略を分析し対応してくるので、こちらの戦略もさらに変化させていく必要があるのに変化できなくなる)、といったような話も、時代を超えてどんな組織でも課題になるでしょう。

 いかにして大局的な戦略と現場の運用を相互に連携させていくのか。

 

 また、この点で、一定の軍事的な知識は、軍事的な知識そのものとして、民主主義国家に生きる有権者の教養としても有用なのだろう、とも感じました。

 平和を維持するためには、敵国より軍事的な優位に立つことで「攻めても無駄だ」と思わせることは有効な戦略であり、その一方で、より優位に立とうと改良を重ねる敵国に対し、優位を維持するためには、その裏をかいて従来の戦略とは異なる方法を採用する必要があります。そして、民主主義国では、これらの戦略を有権者が理解し、支持しない限り、採用できません。

 

 少なくとも南シナ海における中国の伸長、ロシアと西欧諸国の駆け引き、実態が見えづらい北朝鮮の動向を見る限り、思考実験として何が最善かを一人一人の有権者が考えることは、無益ではないでしょう。

 

 また、戦争の在り方は、政治体制、国家体制とも密接に結びついている、と言う指摘も本書で取り上げた各書で見られます。

 その点で、個人(的なつながりの集団)による暴力、殺人と戦争の違いとは何かを考えると、近年、欧州や中東で脅威となっているのは国家間の戦争よりも、必ずしも組織化されていない、思想的、あるいは単なる意識レベルで共鳴したテロ活動です。

 それらが、イスラム教国ではない日本では無縁の存在か、と言えば、社会に居場所を失った人たちを団結させたオウム真理教事件というテロ事件が既に20年前に発生していることも考えておく必要があるのだろう、と思いました。

 

 残念ながら、このあたりの、ナポレオン戦争から第2次大戦までを特徴づけた国家戦、総力戦とは異なる、ゲリラ、テロ、山賊、強盗に関する言及は、本書では、1987年のルトワック、1991年のクレフェルト、つまり冷戦末期、大国間の戦争の時代から新しい戦争の可能性が萌芽した時代で止まっています。

 21世紀に入っての(つまり、理論的な可能性の時代から、「9.11」で現実化した後の)専門家による考察についても、折を見て触れる機会があれば、と思った次第です。