どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse³」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
2016年に出版されて歴史系の新書としては異例の大ヒットとなった呉座勇一さんの「応仁の乱」を出した中公新書から2018年末に出た「承久の乱」を読みました。
日本史の教科書に出てきて名前だけは有名だけど、戦国や幕末に比べてマイナーな内戦、と言う点では共通する両者ですが、二匹目のドジョウを狙ったわけではなく、ほぼ同時期に同じ編集者によって企画がスタートしているようです。
個人的には承久の乱と言えば、自分の名前と同じ名前を持つ日本史上の人物としては恐らく最も有名な北条泰時が率いる鎌倉幕府軍が後鳥羽上皇を制して、鎌倉幕府…というか北条得宗家による武家政権が完成した戦い、と言うくらいは昔から知っていますが、それ以上のことはイマイチよく分かってない。
鎌倉初期という日本刀製作の黄金期に御番鍛冶を集め、自ら作刀も行う一方、「新古今和歌集」の編纂者としても知られる文武に通じた上皇であった後鳥羽上皇が、単なる思い付きや野心で、倒幕を狙って暴挙に至ったのか。
歴史の結果を知っている我々の後付けではなく、鎌倉幕府側の正史である「吾妻鏡」、軍記物の「承久記」だけでなく、公家や僧侶の日記類なども参照しながら、後鳥羽上皇の置かれた当時の状況を読み解き、真の狙いを探る、という内容です。
結論から言うと、後鳥羽上皇は倒幕を企図しておらず、むしろ3代将軍、源実朝暗殺後の幕府の混乱の中で、幕府の機能を正常化させるために、北条得宗家の排除を狙ったのではないか、という主張。
それを北条側が自らの正当性を主張し、御家人たちを糾合するため、倒幕が狙いであるかのように喧伝し、それが吾妻鏡によって強化され、さらには100年後に本当に倒幕を狙って同じ隠岐に流された後醍醐天皇と重ねられた(ひょっとすると現代では、明治維新でさらに強化されているのかもしれません)。
藤原摂関家の影響力を排除して天皇親政を目指した白河院が、外戚を外すための生前の後継者指名から、結果的に院政を敷くことになり、武家の台頭、後白河院、そして鎌倉幕府と後鳥羽院の登場、という時代的な流れも中々、興味深いところでした。
個人的には、北条家が和田合戦はじめ同僚たちを追い落として執権としての権力を確立していく部分も追々、もう少し調べたいところ。これも追い落とす、と言うよりは、生き残るために不穏な人間を粛清していった結果、権力が集中した、ということのようですが。
なお、最近では、1192年、後白河院が没して後鳥羽天皇が治天の君となり*1、源頼朝が征夷大将軍に任じられたことを幕府の成立*2とみるのではなく、1185年の平家滅亡後、源義経・源行家追討のため守護地頭の任免権が源頼朝に与えられたことをもって幕府=武家による統治機構の成立とみなすのが主流のようです。
とは言え、1192年から承久の乱勃発の承久3年、1221年までちょうど30年、そして承久元年は今からちょうど800年前の1219年。
てことで、800年後の2019年に平成は31年で改元されて、天皇が生前退位し、久しぶりの上皇が生まれる、というのは、後鳥羽上皇という人を考えるには、いいタイミングな気がしますね。
次は、これまた中公新書の「観応の擾乱」…も控えてるんですが、新元号「令和」に絡んで長屋王と藤原四兄弟の政争を書いた本とかも読みたいところ。古すぎて史料も少なそうで、一般向けの新書とかでは、あまりないようですが。
観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)
- 作者: 亀田俊和
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2017/07/19
- メディア: 新書
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