Beerhouse³ 営業日誌

ものづくりの街、新潟県三条市でビール屋やってます

戦国時代の越後本成寺


 どうも、新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse³」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。

 

 2月3日は節分…と言えば三条市民の中でも嵐南育ち、条南小出身のいけのにとっては本成寺です。何しろ学校の道を挟んで向かいが境内。

 

 で、こないだ2023年の大河ドラマ主人公でもある徳川家康*1についてググってたら、唐突に出てくる「本成寺」の3文字。

 

竹千代の人質時代

 松平竹千代こと、元服前の徳川家康が、はじめ尾張織田氏、次いで駿河・今川氏の人質だったことは有名ですが、伝説では元々、今川氏に人質として送られる予定だったところ、織田側に近い家臣の裏切りで織田家に届けられた、となっているそうです。

 それが最近の研究で、織田の三河侵攻により、松平が織田に恭順を示すために正式に人質として送られたのでは、という指摘があるのだとか。

 

本成寺の手紙

 で、この、早い段階での織田の三河侵攻を裏付ける資料として、本成寺に保存されている当時の手紙が採用されているのだとか。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 大河ドラマで歴史考証を担当する平山先生も言及。

 

 

 

 天文16年は1547年。この手紙の差出人である日覚は本成寺の9世貫首を務めた人です。日覚が尾張出身であることから尾張からの情報も手に入る一方、当時は既に本成寺を10世・日意に渡して、自身は越中本妙寺に移っていたようで、三条との情報交換の手紙が本成寺に残っているようです。

 

 なお、この手紙は三条市史の資料編に原本の写真と活字翻刻が収録されています。

 

法華一揆

 戦国時代の武装した宗教勢力としては、一向一揆が有名ですが、法華宗も京都で急速に勢力を伸ばしており、三好・細川といった大名たちと結んで、一向宗と対立し、一向宗の京都からの掃討に成功しています。

 しかし、今度は比叡山とも対立して逆に、天文5年(1536)、法華宗の21カ寺がすべて焼き払われ、一時、京都から退去を余儀なくされています。

 

ja.wikipedia.org

 

 「三条市史」では、日覚が天文9年(1940)に本成寺を譲り、越中に移ったのは、この戦後処理に動くためではないか、と指摘しており、本成寺を含む日蓮宗には天文11年には帰洛勅許が出され、天文16年には比叡山とも和解に至っています。

 また、本成寺には当時の後奈良天皇からの綸旨が3通残されているそうで、この点からも当時の日覚と本成寺の政治的な影響力の強さが伺えます。

 

戦国時代の本成寺

 京都だけでなく越後でも、この天文年間(1532-1555)は戦国時代の真っただ中で、本成寺も戦乱に巻き込まれています。

 上杉謙信長尾景虎)の父親に当たる越後守護代長尾為景が越後守護上杉氏、その本家に当たる関東管領上杉氏と対立、為景は天文6年に長男・晴景に家督を譲って隠居し、11年に没した後、さらに長尾家の中も長男・晴景派と次男・景虎派に分かれて争う、というのが天文年間の越後の状況です。

 

 当時の三条城主、山吉氏は基本的に為景・景虎方について戦っており、本成寺もそれに協力したことで所領を安堵された、という手紙も残っています。

 

 京都で政治活動を行い、越後では軍事行動を取る本成寺。それなりに強大な勢力と、それを支える財力もあったと思うのですが、当時の三条との関係がどのようであったのか、そのうち詳しく調べてみたいところ……とは言え、崩し字の古文書はもちろん、この時代の文書は活字翻刻されてても、読みづらいんですよねぇ。漢文調だったり、当時の独特の言い回しだったり……。 

*1:大河ドラマは見てませんが。テレビ持ってないので…