Beerhouse³ 営業日誌

ものづくりの街、新潟県三条市でビール屋やってます

新潟県三条市、本寺小路について

 

新潟県三条市と金属加工

 当店が店を構えるのは、新潟県三条市の旧市街地にある繁華街、通称「本寺小路(ほんじこうじ)」の外れです。

 

 三条市新潟県のほぼ中央、東京から上越新幹線燕三条駅まで約2時間。隣の燕市とともに金属加工の中小企業が集まる街として最近では知名度が上がってきました。

 ちなみに燕三条駅が立地しているのは、日本一の大河、信濃川とその支流の中ノ口川に挟まれた島の上、東側にある私たち三条市は旧南蒲原郡、西側に広がる燕市は旧西蒲原郡で、微妙に方言などの文化圏も異なります。いまだにハローワークや税務署といった国や県の出先機関の管轄も異なっていたりします。

 

 三条は信濃川の河川交通の要衝にあたり、鎌倉時代の終わりころから川湊の交易都市として歴史に姿を現します。

 

旧市街の繁華街、本寺小路

 戦国時代の終わりから度重なる城主の交代を経て、最終的に城が廃され、村上藩の飛び地となった三条町では、元禄3年(1690)年、東本願寺の掛所が設置されました。

 越後国内の各地から本願寺掛所に訪れる人たちを相手にした旅籠がその参道に立ち並び、本願寺(本寺)の参道が本寺小路と呼ばれて、賑わうようになっていったようです。

 

 城を持たず、商工業者を中心に発展してきた三条は高度経済成長期の終わり頃、昭和40年代には、全国で最も社長が多いと街と言われ、一時は人口当たりの飲食店数では、新宿・歌舞伎町、札幌すすきのに比肩するほどの隆盛を誇った、と言われています*1

 

昭和の面影

 実際の数字はともかく、1980年代、親に連れられて本寺小路の飲食店にやってくると、周辺の道路がかなりの人でにぎわっていた、という記憶はあります。

 

 何しろ中小零細事業者が多い街だったのでバブル期以前までは、儲かった利益を税金で役所に持って行かれるくらいなら、地域に落として経済を回そう、という雰囲気も強かったようです。

 「自分が東京に出張に行けば、銀座あたりのすごい店に連れて行かれる。そのお客さんが今度はこっちに出張で来るというときに恥ずかしい店には連れて行けないから、いい店、頑張ってる店があれば、なくならないよう応援した」

という話も聞いたことがあります。

 

 そもそも、創意工夫を是とし、自由闊達な商工業の街であるため、新しいことや、人と違うことをやる人に寛容であったり、面白がって応援する、という姿勢も強いのが三条の市民性と言えるようです。

 

昭和から現代へ

 行きかう人々の肩がぶつかるほど人が集まったのも昔の話。昭和40年代以降の自動車化の進展で、三条の街は人が住む場所も、働く場所も郊外に広がっていきました。やがて飲食店の新規出店も郊外で、広い駐車場を構えて行う大規模な店舗が中心となり、本寺小路周辺は昭和のころから、それほど開発も進まず、往時のたたずまいが今も色濃く残っています。

 

 江戸時代からそれほど変わらない、細く入り組んだ小路を抜けて小さな店に入ると、個人のワンオペか家族経営、せいぜい数人のスタッフを雇って行う小規模で、個性豊かな空間が待っています。

 

 本寺小路からは、かつての賑わいが徐々に、しかし確実に薄れつつあります。特に2020年からのパンデミックの影響は決定的でした。

 

 それでも、昭和の面影を残す独特の雰囲気の街の中に、魅力的な店がいくつかまだ残っています。古い街並みや趣のある建物がそのまま残り、まるでタイムスリップしたかのような感覚を味わうことができます。

 

 昭和時代を知る人々にとっては懐かしさを、若い世代にとっては新鮮な発見を提供してくれる場所として、本寺小路の灯火は今夜も灯っているはずです。

 

*1:もっとも、日本三大〇〇とか、世界三大〇〇は上位2つは誰でも納得する有名なものに対して、3番目はだいたい言った者勝ち、という印象がだいぶあります。実際、当時の三条の飲食店街の隆盛を統計的に示す資料があるのか、そのうち調査したいと思いつつ…