Beerhouse3営業日誌

ものづくりの街、新潟県三条市でビール屋はじめました

店主いけのの略歴

 こういうものって、どこからどこまで書くべきか悩ましいのだけれども、ひとまず、2016年2月現在までの来し方。

 

1 出生~高校

 1977年、新潟県三条市生まれ。

 

 三条市立島田保育所、同条南小学校、同第一中学校、新潟県立三条高等学校卒業。ちなみに、ここまで全て統廃合または移転しており、いけのが通った校舎は1つも現存しておりません。 

  

2 大学 

 1996年、(国立に落ちたので)早稲田大学理工学部機械工学科入学、2000年同大卒業、同大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程入学、2002年同大学院修了。

 

 自動車の「design」をしたくて美大ではなく、機械科にきてみたものの、大学6年間、新宿区内で自動車の要らない生活を送っていたら、だんだん、どうでもよくなり、入った研究室は、機械科なのにひたすらコンピュータ上での図形処理をするための数学モデル考えるところ(一応、機械設計のためのシステム開発)で、就職活動は戦略コンサルやらSIやらを回るものの、途中でやる気が雲散霧消して、就職しないで三条に帰ることに。

 

3 第1期無職時代 

 2002年、三条に戻り、楽しい高等遊民時代。親の仕事を手伝うふりして遊んでたものの、親とそりが合わず完全に無職に。

 ちょうど、NEET(Not in Education, Employment or Training)という言葉が取りざたされていた時代で、NEETと引きこもりが同一視されていることに超絶違和感覚えつつ、引きこもることなく楽しく過ごす。

 とは言え、食ってくためには、お金が必要なのです。

 

4 三条市役所 

 2005年、三条市役所が久しぶりの職員採用試験実施。縁あって、当時の年齢制限ぎりぎりで受けたら、採用中止期間の世代調整などもあり、受かる。

 別に公務員になりたかった訳ではなくて、自分の能力を社会のために使う(その対価としてお金を貰う)ことを考えたら、どこかの一私企業に所属するより、地域全体を見て動ける市役所はナシではないのかな、と思った次第。

 

4.1 産業振興

 2006年、三条市役所入庁。経済部商工課配属。以後、一時、組織変更による部署名の変更などありましたが、2013年3月まで7年間在籍。

 三条市地場産業である伝統的な金属製品鍛造業、いわゆる「鍛冶屋」の皆さんとの仕事をはじめ、製造業を中心とした産業振興全般に関わる。

 

 個人的に大きな転機は、08年にリーマンショックが起き、09年に産業振興策として、大量の予算が付いた中で、縁あってエイトの西澤さんにお会いしたこと。

www.8brandingdesign.com

 

 西澤さんにお願いした仕事は、市内企業向けの勉強会の講師で、テーマはブランド戦略。世の中ではコモディティとして認知され、大企業とその発注先の海外新興企業を中心とした価格競争に晒される中、小規模企業が戦っていく上で、ブランド化をどう考えるか、というもの。その中で、西澤さんが過去に手掛けた事例として取り上げられたのが、コエドビールさんであります。

 ちょうど2009年とか2010年くらい。クラフトビールと、いけのの出会い。

www.coedobrewery.com

  

 仕事の面では、西澤さんからのご紹介で、中川政七商店さん、そこから、さらにアッシュコンセプトさん、メソッドさんへとつながっていくのですが、その辺りの一連の仕事については、そのうちまた別に書くと思います。

 

4.2 人口減少・高齢化社会都市政策 

 2013年、14年の2年間は、福祉保健部福祉課スマートウエルネス推進室に在籍。 

 

 1970年代生まれの団塊ジュニアが親世代になっても少子化傾向に歯止めがかからず労働者数の減少が必至となる中、その親世代である、1940年代後半生まれの団塊世代が、2020年以降後期高齢者になり、大量の要介護者が発生する、という現実に対して、一人ひとりの個人の意思や努力に依存するのではなく、都市政策としてどう回避、あるいは緩和できるか、を考える部署。

 

 …と自分は理解していましたが、どうやら違ったらしいです。

 

5 退職

 色々と考えた結果、2015年3月をもって、三条市役所を退職して、再び無職となりました。

 

 以上、知っている人は知っている、別に隠すこともない、非常にざっくりとした略歴です。

 それぞれの時代に何をやろうと思ってその道を選び、そこで実際に何をやり、その結果、何を考えたのか、といった話の1つ1つは、途中にも書いたとおり、それぞれかなりの文章が書ける内容となっておりますので、機会を見て、また書いていきたいと思います。