https://www.gamecity.ne.jp/sangokushi/12/bushoumeikan/0013_kakuka.htm
どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか開業いたしました店主いけのです。
地方のビール屋が、ビールと全然、関係ねーだろ、という記事を突然ぶちこむブログがこちらになります。新ジャンル、中国古典ネタを投下します。
数週間前に、舛添さんがセコイと叩かれはじめ、東京都知事を辞める辞めない、という話になったときから、twitterはじめネットの片隅では、「でも、前の選挙での対立候補を考えたら、舛添さんが辞めたところで次に選ぶヤツが、今よりマトモになる可能性はなくね?」って意見を結構、見かけておりました。
それを喩えて曰く、
と。
なんかネットって三国志、好きな人が多いんすね。自分が見ている界隈だけかな。
そんな訳で久しぶりに、ここ数週間、西晋の陳寿(233-297)による「三国志 魏志」をパラパラと読み直しておりましたが*2、こういう混乱の時代に参考になる生き方と言えば、曹操のブレーン、郭嘉さんでありますよ。
世に出るに当たって、まず北の袁紹のもとに赴いた。会見を済ませてから、袁紹の知恵袋、辛評(しんぴょう)・郭図(かくと)に感想をもらした。
「智謀の士は主君の力量を細かく分析しておくものです。そうでなくては万事に遺漏なく功名を立てることはできません。袁紹どのは、周公*3のひそみにならい、むやみに士人にへりくだっておられるが、人を用いる機微はご存じないとみえます。また、いろんなことに手を出すが肝心かなめにを抑えておらず、策を弄するばかりで決断をともなっていません。こんな方とともに、天下の大難を救い、天下制覇の事業を完成させることは、所詮できない相談です。」
こういいおいて、去っていった。
書き下し文:
はじめ、北のかた袁紹にまみえ、 紹の謀臣辛評・郭図に謂いて曰く、「それ智者は主を量るにつまびらかにす。故に百挙百全にして功名立つべきなり。袁公、いたずらに周公の士に下るにならわんと欲して、いまだ人を用いるの機を知らず。端多くして要すくなく、謀を好んで決なし。ともに天下の大難をすくい、覇王の業を定めんと欲すること、かたし」。ここにおいて遂にこれを去る。
※現代文、書き下し文とも 「三国志英傑伝 魏書 下」徳間書店から引用。一部、かな書き修正した。
仕官しようと思って会いに行ったけど、こいつじゃ天下取れねーわ、と思って部下に毒を吐いて帰ってくるとか、ロックンロールすぎる。
とは言え、郭嘉伝に限らず、ぽつぽつと読んでいて思ったのは、「三国志」の世界観って結構、儒教の影響が色濃くて、そこを感じながら読むべきなんだろうな、という。
たとえば、この記事に限らず、曹操以下の魏王朝と袁紹をはじめとするその他の群雄の決定的な違いとして、天下を治めるに足る「徳」があるかないか、という視点で、編者の陳寿は一貫しているように思えます。
実際には、覇権を握るには、本人や家臣の智謀や武勇といった実力に加え、天の時や地の利といった要素も強いと思うのですが、単純に徳がないから、それらを引き寄せられなかった、というような姿勢が散見されます。
一方、おそらくは陳寿よりも50~100年早い三国時代を実際に生きた人たちも、儒教的な世界観を持っていたはずで、特に知識人として存在した軍師たちであれば、なおのこと。
だから、名士は上から引き立てらるのであって自分から世に出るべきではないし*4、一度仕えた君主には、いくら無能であっても最後まで忠義を尽くすべき、という考えがあり、仕える価値がない相手には、最初から仕えない、という発想になるのだと思います。ダメな君主の下にいたら、文字通り、自分の命にかかわるから。
忠義を尽くすに足りない君主には仕えない、という発想が、三国時代に先立つ「党錮の禁」を受けての清流派知識人の宮廷との距離感に始まって、三国時代における諸葛亮をはじめとする大量のNEET連中の存在であったり、あるいは陳寿と同時代の「竹林の七賢」といった存在につながっていくのだろう、と思う訳です。
自分をどこまで前に押し出していくべきか、と言うのは、ここまで西欧化した現代に生きる我々であっても、東洋人の端くれとして考えさせられるものがあります。
とは言え、郭嘉先生はロックンローラーぶりは上述の記述に留まらず、三国志には若い頃はアウトローだった、という人物が結構、出てくるのですが、郭嘉先生におきましては、曹操の幕下に入っても自由に振る舞っていたそうです。
かつて陳羣(ちんぐん)が、品行の収まらない郭嘉をたびたび役所に訴えた。だが郭嘉は意に介せず、平然としていた。曹操は前にもまして郭嘉を重く用いる一方、陳羣は公正だといってたたえた。
書き下し文:
初め陳羣、嘉の行検を治めざるを非とし、しばしば嘉を廷訴す。嘉、意自若たり。太祖、いよいよますますこれを重んじ、しかも羣のよく正を持するをもって、また悦ぶ。
まあ、これも、郭嘉の人物像と言うより、郭嘉・陳羣双方を使いこなす曹操の度量を賞賛する記述だとは思う訳ですが。
なお、上で引いた徳間書店さんの「三國志」は主要人物の抜粋だけなので、陳羣伝とか入ってないんですよねぇ。本文は上のように現代文、書き下し文、白文が併記されていて、現代文に違和感あるときも原文を辿れて便利なんですが。
そろそろ、ちくまのヤツ*5、手を出そうかなぁ。
全体を読むという点では、実は「演義」系のも通して読んだこと一度もないんですが。
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*1:
三国志に詳しくない方に少し解説。
後漢の終わり、霊帝の時代、宮廷の勢力は衰え、宦官が権力を握る。特に権力を握ったのが中常侍の職にあった約十人の宦官たちで、彼らをまとめて十常侍と呼ぶ。
184年、「黄巾の乱」が起きると、討伐軍の将に抜擢された皇后の兄、何進が軍事力を背景に権力を伸長する。189年、霊帝が没すると、何進は宦官の一掃を企てるが、皇太后となった妹に反対されて計画が漏れ、逆に宦官に暗殺されてしまう。
これを受けて何進と共闘していた袁紹は宮中に進軍し、宦官を皆殺しにする。
この混乱の中、宮中から連れ出されていた少帝とその弟を救出した董卓は洛陽に戻り、少帝を廃して弟の献帝を立て権力を手中にすると、暴政をしく。
*2:編年体ではなく、紀伝体のため、拾い読みじゃないと読みづらい
*3:註:周の初代文王の四男。兄王二代武王とその息子三代成王に一家臣として仕えた
*5:現代語訳のみだけど全文収録