
どうも、新潟県三条市の本寺小路でクラフトビールの店をやってる、いけのです。
なんか、秋にLed Zeppelinの新しい映画が公開されるらしいんですよ。アメリカではとっくに公開済みで、未発掘映像、音源を含めた結成初期のドキュメンタリ、とのこと。
8/4時点で公開予定の劇場に新潟は亀ジャスだけ*1……なんですけども、どうも前売券がやたら高いし(2,100円!)、ライヴに近い没入体験ができることがウリで、原則IMAXでの公開なら、どっちみち東京まで行くから新潟県内の上映劇場は関係ないか、とか思ったり。
なんか、一言でIMAXと言っても、いくつかグレードがあるらしく、国内最高峰は池袋のココらしい。つうか、ここ数年、映画を見るとしたら、8割方、ココまで行って見てるな。
2000年前後、東京で大学生やってたころは年間100本くらい映画館で映画を見てたんですよね。平均週2本ペース。
当時は単館上映のミニシアター系の全盛期*2で、東京でも200席くらいの映画館1館だけで上映しているような映画を好んで見ていて、どこの劇場でもブロックバスター的に大規模公開しているハリウッド大作は、むしろ後回しにしていて。
何しろ平均週2で劇場に行ってると次回上映作品の予告編や、近日公開作品のチラシも手に入るので、東京で上映される映画は自動的にほぼすべて情報が事前に入ってくるわけです。
さらに週2、月8本、1万円前後を突っ込むからには、見るべき映画をその中で厳選すると、どうしても、人物描写があり、物語があり、映像美がある小品が中心になりがち。当時は、それらを見逃すと、テレビ放送はおろか、レンタルビデオ化されるかすら怪しかったし。逆に言えば、ハリウッド大作は後でテレビで見ればいいや、という。
ところが、25年、経ってみると、映画ってむしろハリウッドの、ボコスカ爆発シーンがあり、カーチェイスでカメラがグルグル回るような、そういう大作をわざわざ映画館まで足を運んで観ているな、という印象。
まあ、今では年数回しか映画を見てなくて、とても「趣味:映画鑑賞」と言えるレベルではないのですが。
芸術的な作品は配信で十分、というか、シネコンが隆盛して以来、多様な作品を拾い上げるどころか、むしろ大作を複数スクリーンで上映するようになって、商品はDVDの普及もあって公開されないままビデオのみ流通するビデオスルーが普通に。で、そこから、さらに配信が進化したことで、アメリカですらマイナー作品は配信専用で制作されて、評判になると劇場公開される、とかいう逆転状態。
一方、前述のとおり、IMAXとか4DXとかドルビーとかの上映技術や音響技術の進化が進み、劇場ならではの「没入感」が付加価値として大きくなっている。
Queenの「ボヘミアン・ラプソディ」も(新潟で)4DXで見たんですけど、「アクション大作でもないのに、意味あんの?」とか言われましたが、ライヴの没入感は圧倒的でしたよ。
まあ、でも、狂ったように映画を見ていた若い頃に比べると、本当に映画を見なくなっています。
よく言われるのは、若い人にとっては映画を作っている監督も脚本家も年上で、彼らの人生経験に基づいて、若い観客がまだ経験したことがない、これからの人生を見せることができる。
一方、中年になると、主人公たちが物語の中でぶち当たる「葛藤」についても、自分の中では既に「自分なりの答え」があって、あんまり共感できない、という。
なので、掘り下げられた人物描写や「物語」の価値が自分の中では減って、ライヴのような「没入体験」が映画を見る意味になってるんだろうな、と今回、Led Zeppelinの映画をどこで見るか考えるに当たって改めて考えたのでした。
トップの画像はChatGPT先生。
なんか、春以降、ChatGPT先生のイラスト作画がアニメっぽくなって、前みたいなアートっぽい作風の生成が難しくなっている。プロンプトの再精錬が必要だ。一時期はコレみたいな画風をワリと一発でキメれたんだけどなあ。





