どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
先日東京に出かけた際に、新幹線の車内で読もうと思ったら意外と読むのに時間が掛かった呉座勇一さんの「応仁の乱」、読了しました。
2016年の秋に発売されてから、版元自ら「スター不在」「勝者なし」「ズルズル11年」「知名度はバツグンなだけにかえって残念」な「地味すぎる大乱」という自虐的な広告を打つなど、昨年の真田信繁まわりの歴史書ブームに続いて、ヒットしているらしい本書。
確かに、「一夜むなしく(1467)応仁の乱」ということで戦国時代の幕開けを告げる大乱として日本史上で十分な知名度もありながら、最終的に誰と誰が何のために戦って、結果、どうなったのか、よく分からない「応仁の乱」がテーマ。
細川勝元と山名宗全ってどっちが東軍で、どっちが西軍? 将軍の弟と息子ってどっちが東軍で、どっちが西軍? みたいな。
個人的な読後感としましては、
・室町時代中期の世相・世界観を見ることで、今後の地元の中世史を見直す上でも新しい視点が加わった
・巨大な組織が経年劣化していく中で、古参の重臣と自分の側近のパワーバランスをどのように取りながら組織の新陳代謝を図っていくのか
といった2点で、広く一般性のある書籍かな、と思いました。
以下、全体の紹介。
本書の特徴としては、著者自身も指摘しているとおり奈良・興福寺の2人の高僧の日記を軸に展開しているところにあります。
藤原氏の氏神、春日大社の本地仏、氏寺として絶大な権勢を誇った興福寺。特に、院政期以降、藤原摂関家の権力が衰微すると、藤原家を支える権力の源泉として、広大な領地を管理する興福寺には、藤原家の子弟が送り込まれるようになっていきます。
本書の主人公も、そうした藤原家出身で、門跡となるべくして興福寺に送り込まれた僧侶。
特に、本書の舞台となる室町中期には、大和守護が置かれず、興福寺が大和の領主たちを指導し、事実上の守護として君臨した時代。さらに、山城、近江、河内、越前といった諸国にも荘園を持ち、そこでの税収を確保するため、時に現地の支配者と交渉し、時に配下の武士を現地に送り込み、また戦争のための人員や費用の供出を迫られるなど、奔走する姿を描き出します。
室町幕府は、足利一門の細川、畠山、斯波の各家が交代で管領を務めた他、有力大名を京都に住まわせ、幕政に当たらせていましたが、南北朝の対立、その後、鎌倉公方の独走と関東管領の対立など、常に国内問題を抱えていました。
こうした中で、中央では将軍家の後継問題に絡む有力大名と後継者の側近衆の権力争いが、地方では、各大名家の家督争いに絡んで在京の守護大名と現地を管理する守護代や国人領主の権力争いが続きます。
本書からは見て取れませんが、当時の地方経済の様子はどうだったのでしょう。天変地異による不作や、人口増加による収量不足等、国土の維持管理への逼迫感があったのでしょうか。あるいは、相次ぐ戦乱による社会不安などもあったのか。
乱後、幕府から下賜される役職名の威光は薄れ、現地での実力支配の様相が強まり、有力大名たちも京を離れて分国に戻り、幕府の指導力はますます低下して、群雄割拠の戦国時代が幕を開けます。
戦後の戦国史学界では、マルクス主義的な、権力に弱者が挑戦する、という姿勢を過大評価する傾向があった、ということですが、本書では著者、呉座氏の価値感もあるのでしょうし、呉座氏が視点を借りる2人の僧侶の人生観もあるのでしょうが、ここで描かれる応仁の乱の登場人物たちは、一様に、自分の立場を積極的に伸長するというよりは、ただ自分の立場を守るために、共闘できそうな人物に働きかけた結果、混乱が大きくなって、やがて回避できない争乱に巻き込まれていく、といった姿を見せます。
大きな視点を持たず、ただ自分の保身を第一に考えた結果、泥沼の戦争に国家を叩き落とす、という点では、 戦前日本の政治家や軍部を見るようでもあります。
なお、本書では、繰り返すとおり、複雑な争乱の視点を集約するために、2人の僧侶に焦点を当てていることから、たとえば西国の有力大名、大内氏の動向や、そもそもの乱の遠因となっている関東争乱、あるいは遠く離れた東北や九州の動きについては、あまり記述がありません。
個人的な興味では、鎌倉公方、関東管領上杉氏の争乱と、上杉氏一門である越後守護上杉氏、守護代長尾氏と、越後の国人領主たちの関係についても、このような視点の下、改めて追ってみたい、と思うところ(一次資料を読む気はまるでありませんが…)。
発売から半年以上経ってブームも少し落ち着いたかと思ったら、先日の産経新聞さんWeb版に長めの著者インタビュー入りの紹介記事がありました。