どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
先日のWarped Tourでの千葉への行き帰りに車中で読んだ呉座勇一さんの「陰謀の日本中世史」。あのベストセラー「応仁の乱」に続く、新書です。
とはいえ、2匹目のドジョウを狙ったわけではなく、企画そのものは「応仁の乱」と同時期に進められたもの、とのこと。
理系出身ながらそれなりに歴史が好きな人間としては、歴史の本を読んでいるとアマチュアの歴史家や作家の方が解説する「新説」に、しばしば胡散臭さを感じることがあります。
それは多くの場合、その仮説が「いかに正しいらしいか」の証拠を積み上げることで、議論を展開するのですが、「牽強付会」、強引なこじつけが多くみられるからです。
理系の人間としては、ある仮説の正しさは、正しいらしい証拠を積み上げることよりも、ある仮説が「正しくない可能性」を追求し、自説に反論を重ねて、その結果、どのような角度からも論破されない、ということをもって保証されるべき、と思うのです。
もちろん、世の中の多くのことは、100%そうだとは言い切れないし、特に歴史上の事件などは決定的な証拠が失われていることも多いでしょう。
であれば、専門家になるほど、歯切れのいい断言は難しいのだろうと思います。
言い換えると、断言をする人の話は大変、怪しく聞こえてしまう。
それは、3.11以降、原発を巡る議論の中でも散見された似非科学とも通じるところがあるのでしょう。専門家であれば、9割がたないと思うことでも、100%ないとは言い切れない。
そこに門外漢がつけ込むスキを与えてしまっている。
呉座さんもまさにそういう問題意識から、歴史問題における怪しい仮説を専門家が放置しがちで野放しになりがちあることを否定し、現代社会にもささやかれる陰謀論がいかに荒唐無稽であるかの警鐘を鳴らすために本書を著したようです。
具体的に取り上げられるのは、平安末期の保元・平治の乱から、治承・寿永の乱(源平合戦)、鎌倉期の源頼家・実朝兄弟謀殺、北条得宗家の権力闘争、室町期の南北朝争乱、応仁の乱、戦国時代の本能寺の変と関ケ原の合戦。
書中で再三指摘されているのは、ある事件の最大の利益者が事件の計画者であるとは限らない、という点です。むしろ事件が大きくなるほど、計画者の企図通りには事件は展開せず、臨機応変に対応できた者や、漁夫の利を得た者が利益を掴む、ということです。
また、中世における謀略は失敗した場合には、往々にして文字通りの破滅を意味するため、単なる野心や義憤による決起よりも、もっと保身からやむに已まれず蜂起したパターンが多いという見解は説得力があります。
こうして考えてみると、呉座さんが巻頭と巻末で指摘するとおり、現代社会を取り巻く陰謀論、「この事件で最も得をするのは誰か?」を考えることは、推理小説としては正しいことでも、現実社会と向き合う意味では、誤りが多そうです。
現実には、一人一人の行動はもっとシンプルで、ただ複数人の思惑が絡み合うことで、誰にも予期しない方向に展開していく、ということなのでしょう。