Beerhouse³ 営業日誌

ものづくりの街、新潟県三条市でビール屋やってます

教師の仕事と大組織での動機づけについて

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「今度居眠りしたらチョーク投げるぞ!」と威嚇する倫理の先生|フリー写真素材・無料ダウンロード-ぱくたそ

 

 どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。

 

 全然、ビールと関係ない、ただの世間話。

 ネット上でちょっとバズってた中学校教師が問題児に手を焼いている、という相談への上野千鶴子先生による回答。それこそがあんたたちの仕事だろ? という。

togetter.com

 

 思春期の子供を抱えているどころか結婚すらしていない身としては、現在の学校の現実ってのがよく見えていないので、20年以上前の経験からの憶測で語るしかないのですが。

 

 当時、学校の先生を見ていたり、同級生で先生になりたいと言ってる連中を見ていて思ったのは、彼らにとっては学校生活が楽しい時間で、だから教師になりたいのだろうし、そうすると、うちらのように学校にいづらさを覚える人間*1とは、根本的な視点が違いすぎて理解し合いえないよね、ということです。

 まあ、何人かは面白がって声をかけてくれる先生もいましたが。

 

 上記まとめでは、肯定的な意見だけが続くので、最後までは見ていないのですが、一方で、自分の性格的に、上野千鶴子先生のこの論を純粋に肯定するのも気持ちが悪い。

 

 何というか、この先生の、個人の問題というよりも、今のこの学校の組織、あるいは教育委員会文部科学省といったもっと大きい枠組みでの方向感として、こういう問題のある子を支えることが重視されていないって、ことではないんでしょうかね?

 こういう子を支えないことは批判されても、支えても評価されない、もっと優先される業務があるので、そこまで手が回らない、のではないか。

 

 たとえば、教師の能力や成果を評価する上で、想像するに、担当するクラス「全体」の成績だとか素行だとか、そういう「統計的」な「平均値」みたいなもので、教師が評価されていて、1人1人の生徒たちがどうであるか、を評価するような枠組みになっていないのではないか。

 先生としては全体を改善することに忙しくて、1人1人のケアに手が回らないのではないか。

 

 もちろん、全体の平均を押し上げる戦略として、大雑把に

  1.  優秀なトップティアを抜群に引き上げる
  2.  平均的なミドル層をまんべんなく引き上げる
  3.  ボトムを底上げする

 といったものが考えられて、3が支持される世界ならば、こういう問題児にもっとケアが行き届くのだと思いますが。

 これは、どれが正解と言うよりも、ほとんど価値観の問題で、そして日本では、ロジックではなく、「雰囲気」で「2」が支持されていそうな気がします。社会全体の回答としても、先生方1人1人の行動パターンとしても。

 

 そして、先生方1人1人の業務量が多くて、優先順位の低い問題児にまで手が回らない、あるいは全体ばかりを見ていて1人1人の生徒の個性にまで気配りができていないんだ、というときに、それでは日本の限られた教育予算、教師の人件費の中で、そこを手厚くフォローすべきだ、という議論に果たしてなるのでしょうか。

 

 また、前職で、ときどき学校の職員室に足を踏み入れたときに見かけた真っ赤っかな労働組合のスローガンとかを考えると、あんまり教師の労働環境改善を真面目に支援する気にもなれないのですが。

 ああいう組合活動は、いったい、どのくらいの先生方が真面目にコミットしてらっしゃるんだろう。

 

 自分のときとは時代が違うのかもしれないし、あの時代ですら自分は偶然にも生き延びれただけだとも思うのですが、それでも、言葉にできない居心地の悪さを抱えた生徒が頼る相手は、教師じゃないんじゃないかなぁ、と思う次第です。

 先生方におかれましても、仲の良さそうな他の生徒を差し向ける、とか、ただ邪魔くさいと放置するのではなく、自分の負担が少ない範囲で解決につながりそうな頼れる人間、使える人間を探すしかないのでは、と思います。

 

 親の立場になったときにどう振る舞うのかは…ちょっと想像できませんが。

*1:とっとと卒業して二度と戻ってきたくない、と思っている人間