どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse3」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
オレゴン州に拠点を置く世界的なスポーツ・ブランド、ナイキの創業者、フィル・ナイトの自伝「シュー・ドッグ」をようやく読み始めました。
アメリカの経営者の自伝と言うのは、サービス精神というかエンターテイナー性というか、ちょっと盛りすぎじゃないの、という面もあるのですが、それを差し引いても、とりあえず序盤から面白い。
まず序盤でオレゴンという土地について、新しい世界を求めてアメリカを西へ西へと開拓を進めてきた人々が最後に行きついた太平洋岸のオレゴン、偉大なる先人たちの子孫である自分たちにも新しい世界を切り開く宿命がある、というエピソードが紹介されます。
さらに、陸上選手とは大成できなかったナイトが、スタンフォードのMBAの課題として取り組み始めた「日本製スポーツシューズの販売」という事業に、卒業後の進路にに悩む中で着手するくだり。
24才の私には馬鹿げたアイディアがある。唯一残ったのはこの力強い確信だった。この確固たる真実は消え去ることはない。…(略)…だがわかったのだ。世界は馬鹿げたアイディアでできているのだと。歴史は馬鹿げたアイディアの連続なのだと。…(略)…
私は走ることが好きだが、馬鹿げているといえば、これほど馬鹿げたものもないだろう。ハードだし、苦痛やリスクを伴う。見返りは少ないし、何も保障されない。…(略)…走る行為から得られる喜びや見返りは、すべて自分の中に見出さなければならない。すべては自分の中でそれらをどう形作り、どう自らに納得させるか、なのだ。…(略)…
1962年のあの日の朝、私は自分にこう言い聞かせた。馬鹿げたアイディアだと言いたい連中には、そう言わせておけ……走り続けろ、立ち止まるな。目標に到達するまで、止まることなど考えるな。「そこ」がどこにあるのかも考えるな、何が起ころうと立ち止まるな。
(p.7-8)
私は商売が突然軌道に乗った理由について考えた。…(略)…セールスではなかったからだ。私は走ることを信じていた。みんなが毎日数マイルを走れば、世の中はもっと良くなると思っていたし、このシューズを履けば走りはもっと良くなると思っていた。この私の信念を理解してくれた人たちが、この思いを共有したいと思ったのだ。
信念だ。信念こそは揺るがない。
(p.80)
また、当初の提携相手であるオニツカ・タイガーのオニツカ社長との初対面のエピソード。東京オリンピック前夜の1964年のこと。
少し前に思い描いたことがあると言う。それは素晴らしい未来の光景だそうだ。「世界中の誰もがアスレチック・シューズを日常的に履いている。その日が来る」。彼は話を止めてテーブルの一人ひとりを見回し、同じ思いなのか確かめた。
(p.91)
また、フィル・ナイトのオレゴン大学時代の陸上コーチで、共同創業者となるバウワーマンの言葉。
バウワーマンは、エリートのオリンピック選手だけがアスリートだとみんなが誤解していると常にこぼしていた。だが、彼が言うには誰もがアスリートなのだ。肉体があればそれでアスリートであるという持論を、彼はさらに多くの人に広めようとしていた。本を通して読者に。「面白そうですね」と言ったものの、かつての名コーチ、バウワーマンはねじが緩んでしまったと思った。ジョギングについて書いた本など読む人がいるだろうかと、当時は思っていた。
(p.126)
モノを売るのではなく、それを包含する思想、文化をイメージし、それを伝えていくのだ、ということなのだろう、と思います。
いかんせん、読書速度が毎時60ページくらいで、飛ばし読み、斜め読みができない性格につき、500ページ超の本書を読みきるのに、どのくらい時間が掛かるか読めないところではありますが、鋭意、読み進めていきたいところです。
なお、本書では、ナイキが打倒すべき巨人として今後登場してくるらしい、アディダスの創業者、アドルフ(アディ)・ダスラーと、その兄で骨肉の兄弟喧嘩を繰り広げたプーマ(創業当初はルーダ)のルドルフ(ルディ)・ダスラーを取材した本もあるようです。
ナチス、ベルリン・オリンピック、そして第2次大戦という時代に翻弄されながら、どのようにして新しいジャンルを創造したのか、興味深いところです。10年以上前の出版なので、もう入手困難なようですが。
- 作者: バーバラ・スミット,宮本俊夫
- 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
- 発売日: 2006/05/25
- メディア: 単行本
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