Beerhouse³ 営業日誌

ものづくりの街、新潟県三条市でビール屋やってます

使える補助金は使った方がよいけど使うために無理をする必要はない、という話

資金不足に悩む研究者のイラスト(女性)

 どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse³」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。

 

 31日投票の衆院選の選挙期間中に政治的な話を書くのもどうかと思いつつ、今、自分の抱えている案件で補助金を使うことになりそうなのが1つあるのと、昨日、たまたま補助金に落ちた愚痴を書いてた人を見かけたので。

 

 前職では、市役所で産業振興の仕事をしてましたので、自分でも補助金を交付する側の仕事をしてましたし、市内の企業や団体さんの補助金申請のお手伝いもしてました。

 

 で、その経験から得た結論として、行政が産業振興系の補助金を出すのは、21世紀の日本では時代遅れ。意味がない。

 まあ、やり方次第かなって気持ちも1ミリくらいはありますけど。

 

 まず、21世紀の日本においては公金支出の透明性や有効性が求められるんですよね。私たちが納めた税金はきちんと使われているのか。市民にきちんと説明する義務が行政職員にはある。

 だと、明らかに失敗しそうな案件や、成功するのかどうかよく分からない案件には補助金は出しにくい。

 これは地域経済の発展に寄与する確率が高そうだから公金を出したんだぞ、という合理的な説明が求められる。

 

 で、残念ながら、その説明を誰がするのか、というと、公務員や公務員に呼ばれた有識者が、補助金申請者の代わりに市民に説明する、って形にはなってないんですよね。申請者自身が公務員や有識者を説得し、公務員や有識者は市民や市民の代表である議員からの問い合わせに対応するために、その説明を記録するだけ、なんですよ*1

 つまり、申請者は、目の前の公務員や有識者を説得するつもりになりがちですけど、本当に説得すべき相手は、その向こうにいる市民、一般のユーザなんですよね。

 

 明治の富国強兵や戦後の復興期のように欧米の真似をすればいいだけの時代ならともかく、21世紀の日本で新しいことを始めるときに、それが上手く行くかどうか、誰がどうやって判断をするのか。

 少なくとも、こないだの「ダークホース」でも記述がありましたが、現代社会で何が上手く行くかを予想することは、科学的合理性とは相性が悪い。科学的合理性に基づく判断は過去の成功に基づく再現性の高いものは評価できても、まったく新しいものは評価できないから。

 

beerhousecubed.hatenablog.com

 

 

 それでも、その不確かな挑戦について、科学的であれ、感情に訴えるのであれ、一般のユーザーをきちんと説得できる人もいます。でも、市民を納得させられる自信があるなら、わざわざ補助金を使うよりも、直接、市場に出した方が早くないですか?

 まずは自己資金で出来る範囲でのリーンスタートアップ、投資が少ない始め方を模索する。あるいは、最低限の初期投資が必要であれば、銀行の融資や、今ならクラウドファンディング、あるいはベンチャーキャピタルパトロンを説得した方が行政を説得するよりも早い。

 少なくとも、その人たちは自分のリスクで投資の可否を判断できるけど*2、つまり成功が不確かな案件だと思っても自分の中に論理的には説明できない、何か面白そうな要素があれば投資を決定できるけど、公務員や呼ばれてきた有権者はそうではないから。

 公務員や有識者は、あくまでも、市民や議員に求められたときに対処できる、論理的な説明を必要とするから。

 新規事業への投資者として、最もリスクを取れないのが行政。

 

 なので、公的な補助金によって、こういうハイリスクな投資を行うとしたら、方法は「失敗を前提に行う」以外にはないと思います。

 100件中99件は失敗するけど、残り1件が100件分の投資を回収できるのでそこに賭けます、みたいな前提条件を最初からつくる必要がある。あるいは1件も成功しないかもしれないけど、失敗を顧みずに「挑戦するという文化の醸成」に意味があるのだ、と。

 

 でも、間違ってはいけないのは、現代の日本は民主主義社会なので、残念ながら、今、日本の多くの公的制度がそういう挑戦的な仕組みになっていないのは、公務員や政治家のせいではなく、市民がそれを望んでいないから、なんですよ。

 とにかく、自分たちの払った税金を無駄使いするな、と。リスクよりも、確実性。一発ホームランより、四球でもいいので出塁率

 

 なので、21世紀の日本で補助金を使うのに向いている案件というのは、残念ながら、斬新で意欲的な挑戦、ではないんです。

 東京で成功例がある、東京で流行っている、雑誌やテレビで紹介されドラマ化もされた、くらいの一般的な市民の誰でもが成功をイメージできるような事業、本当に新しいことをやりたい人からしたら、ちょっと手垢がついた古臭くてダサいくらいの事業に、自分なりのヒネりを少し加えた、くらいの事業がちょうどいいかな、と思います。

 すでに他の人がやって成功しているなら、イメージしやすい上に、失敗するリスクも低いからね。

 全然、おもんないけど。

 

 いや、だから、補助金てムダじゃない…?

 

 それでも、補助金申請をするメリットがあるとしたら、自分が今、やろうとしていることを客観的、論理的に説明できるようになる、ということです。

 つまり、自分がやろうとしていることは結局のところ何なのか、を細かく切り分けて突き詰めて考えることができる。

 これをすると、1つには、一般ユーザや投資家に対して何を強みとして訴えるべきかが整理できる。また、事業に穴がないかチェックして、リスク判断の精度を上げられる。 

 あるいは少し大きいチームで事業をやるなら、これによってチーム内の意識共有も図れますよね。

 

 ただ、これも両刃の剣で、そうやって冷静に分析をしすぎてしまうと、事業への情熱が冷めてしまう、というリスクもあります。

 ロック・バンドのレコーディングで最初にメンバー全員でライヴ・レコーディングしたヤツが一番出来が良くて、修正を重ねれば重ねるほど、つまらない音源になっていく、みたいな。

 

 なので、補助金は、たまたま新しい事業をやろうとしてたタイミングで、ちょうどよく、こういうロジックで説明したら補助金の趣旨に合致しそうって案件があったら申請してみる(採択されたら投資回収が早くなってラッキー)、くらいの気持ちでやるのがいいと思います。

 また別のリスクとして、申請内容に合わせるために本来の趣旨とは違う、適当なロジックを積み上げすぎてしまうと、うっかり自分たちがそのツジツマ合わせのロジックを信じ込んでしまって事業の本質を見落としてしまう、という罠もあるんですけども*3

 

  

 

*1:まあ、ちょっとくらいはアシストできるけど、あなたの頭の中にあるアイディアの全体像はあなたしか知らないから

*2:この点において、いけの個人は銀行の機能にも役所と同様懐疑的ですが

*3:地方の市役所が国の補助金を取るためにどうでもいいキレイゴトの理由を書くと、担当者本人はそれがウソだと知っていても異動で担当者が代わっていくと後代、その文書だけが正典として継承される、というのはよく目撃しますね