どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse³」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
世の中には不思議なものがあるもので、ある日、陽も射さぬ鬱蒼としたインターネットの樹海を逍遥しておると、「おばりよん」なる物の怪に出くわしたのである。新潟県三条市に伝わる、という。
ご丁寧にWikipediaに立項までされておる。
曰く、
おばりよんは、新潟県三条市に伝わる妖怪の一種。大正時代の新潟の民俗誌『越後三条南郷談』には「ばりよん」の名で記載があり、他にも「おんぶおばけ」「うばりよん」「おぼさりてい」とも言われる。
いや、聞いたことねぇわ…。出典の「越後三条南郷談」てのも聞いたことねぇ…。
我々、調査隊は真実を求めて、さらなる奥地へと足を踏み入れた。
まあ、普通に図書館に蔵書がありました。開架じゃないので職員さんに書庫から持ってきてもらう必要あります。
大正15年*1(1926)!
※オリジナルの他にもコピーの蔵書もあります。
以下、本文から引用。
ばりよんの怪が出るといふ。 夜中行人があるとその背中に跳びのつて頭を噛る。 だから夜の道行には金鉢を冠るのが安全だといふ。ばりよんとは負はれ度い! といふ方言である。 ばりよんの怪物を家まで持つてゆくと金甕だつたといふ話もある。
金鉢というのは、ヘルメットの古い訳語ね。
ばりよんとは負はれ度い! といふ方言である。
知らん…。
「背負う」、「責任を負う」の「負う」が旧仮名では「おふ」と書いて、全国的にも「おんぶ」という用法は残っていると思われる。
三条語では「おぶる」というラ行活用の動詞で戦前生まれの年寄りが使う。
「おんぶにだっこ」の対となる「抱きかかえる」を意味する「たがく」という語もある。
どちらも「おぶってく」、「たがいてく」と言った場合には、厳密には体の前後のどちらに持つかの違いはあるが、意味としては「(手で持って)運ぶ」くらいに聞こえる。わりと日常的な単語。
一般的には「おぶる」も「たがく」も「~てく」とセットの印象が強いが、言われてみれば確かに、単独での用法もないわけではない。
「おんぶしてほしい」を三条語で何と言うか。「おぶられたい」? 「おぶれやぁ」ですかねぇ。
語頭の「お」が消えることや、「ぶ」が「ば」になることもある。
重そうな荷物を「背負えるか?」と訊くとき、「でぇ、ばれっかや?」など。あとは、たとえば手数料を上乗せする、という意味で「ばせる(負わせる)」とか。
だと「おぶれやぁ」は「ばれやぁ」。
三条語は「い」と「え」の識別が雑(実際、本書中にも数か所混同が見られる)なので、「ばりやぁ」。この辺は、同じ三条でも村ごとの地域差や個人差もありそう。
次に「よ」と「や」の混同があるかが不明だけど、これも地域差とかなんですかねぇ。終助詞の「~だよ」の「よ」と「や」。三条ではもっぱら「や」だと思うがなぁ。
最後の「ん」も語尾に「ん」が来る三条語というのが想像しがたいが、さっきの「ばれっか」は人によっては「ばれんか」にはなる。
なので、促音「っ」と撥音「ん」の混同ですかねぇ。「ばれやん」はあまり想像つかないが「ばれやっ」なら確かにある。
あるいは長音「ばれよぅ」の可能性も含めて、この辺は、いかんせん古い時代の、まだ口語体が発展途上の時代の文章なので、耳に聞こえた音をどう書くか、という問題でもあるような気がする。
と言うわけで、「ばりよん」と言うのは、「おぶれやぁ」のさらに訛った形と考えると、当地の伝説として納得できるかなと思料する次第。
【21.6.29追記】
知人から指摘があり、終助詞「や」ではなく、「お前の背中に乗ってやるぞ」という意味で、いわゆる意思の助動詞「~よう」ではないかとの意見をいただきました。
「ばれよう」。「れ」と「う」については上記の通り。
お、こっちの方が説得力がありそう!
=== 追記終わり ===
さて、この資料となっている外山*2暦郎「越後三条南郷談」とは何か。
本書の序文によれば、著者の外山さんは南蒲原郡本成寺村(昭和の合併前!)金子新田*3の生まれで当時18歳。若い!
大学入学して上京した後、帰省した際に本成寺村と南隣の大面村*4に伝わる伝説を採取したものだという。三条市南部で越後平野の東端、丘陵部に入る、信越線沿線一帯ですね。
巻末に地図もある。撮りかたが雑ですみませんね。
三条市の図書館などに勤められた民俗学者の五十嵐稔さんが昭和44年に本書を復刻しているのだが*5、その復刻版の巻末に外山さんの奥様が寄せられた文章で、外山さんの略歴を紹介している。
外山さんの父が短歌を詠む人だったようで、医師で歌人の井上通泰に師事しており、この井上の実弟が民俗学者の柳田国男。柳田国男は外山さんのお父さんを訪ねて本成寺村に来たこともあったらしい*6。
外山さんが三条中学*7を卒業後、東京商科大*8に進学して上京すると、歴史学者の幸田成友*9に師事する一方、柳田とも交流したらしい。
と言うわけで、本書の序文でも柳田に触れているとおり、この「越後三条南郷談」も柳田の助力により出版されている…と言うか、本書は表紙のとおり「炉辺叢書」(ろへんそうしょ/ろばた?)の1冊として出版されているのだが、このシリーズ自体が柳田が深く関わっているようで、柳田の著作一覧に「炉辺叢書解題」が見える*10。と言うか、出版している郷土研究社自体が、柳田の著作を出すための出版社のようである。
最初のWikipediaの参考文献を見ても「おばりよん」の最も古い文献はこの「越後三条南郷談」であるのだが、次に古いのは柳田の「妖怪談義」の1956年(昭和31年)である。
いまや三条ではほぼ忘れ去られた書籍とそこで紹介された妖怪が、全国区では知られている、と言うのは、どうやら、ここで柳田が紹介したことによるようだ。なお、先ほどの奥様の略歴によると、外山さんは昭和24年に僅か45歳で逝去。この時には、他界されていた、ということです。
いや、「妖怪談義」は未読です。後で読むかもしれません。
というか、冷静に考えると「遠野物語」すら読んだことがなく、柳田国男、国語の教科書に載ってた短編くらいしか読んでないので、そのうち読まないとかもしれませんね…。
ちなみに柳田国男関連では他に、1943年に三省堂から出た「全国昔話記録」という13編のうちの1編が「南蒲原郡」だそうです。
【21.6.25追記】
「南蒲原郡昔話集」に「バロンの化物」として同様の話の少し長いバージョンが収載されていましたので、別記事にまとめました。