どうも。新潟県三条市の中心部、「本寺小路」でクラフトビールを中心とした飲食店「Beerhouse³」を、とりあえず何とか営業しております店主いけのです。
ビールと全然関係ない話。というか、知ってても1ミリも人生に役に立たないムダ知識。
味方(現・新潟市南区)の大庄屋、笹川家のルーツが武田遺民で、北信濃経由で越後平野に入ってきた、と聞いて、「へー、近くに諏訪神社あるのかなー」と思ったら、敷地の隣が諏訪神社だった…。
そして近くに2つある寺は、どちらも浄土真宗で片方が西、片方が東らしい。
あんまり時期については、正確なことを調べてないんですけども、上杉謙信の時代、たとえば川中島の後なのか、上杉家が会津転封後の堀家の時代なのか、あるいは江戸時代に入ってからなのか、ともかく、16世紀末から17世紀前半にかけて、越後平野というか信濃川流域の新田開発が進むんですけども、ここに北信濃からの移民が相当入ってきてるらしいんですよね。
一応、三条の郷土史的なポイントとしては、越後平野の新田開発ってのは基本的には信濃川や支流の氾濫を抑えて泥湿地を干拓していく訳ですので、要するに土木工事ですから、道具が必要な訳ですよ。しかも、効率を重視したら鉄製の土農具ですね*1。
戦国時代が終わって、刀剣や甲冑といった武具の需要が落ちた後、土農具の需要が伸びたのでは、という仮説は片隅に入れておく必要があるかな、と*2。
で、その信濃から来た人たちが諏訪神社と浄土真宗を一緒に連れてきたので、新潟県の信濃川流域には、それらの寺社が多いらしいです。新潟県の諏訪神社の数、長野県よりも多くて日本一らしいので。
寺についても、新潟県て山の方に入っていくほど、曹洞宗とか真言宗が多いよなー、平野部は浄土真宗ばっかりなのになー、てのは何となく昔から印象としてはあったんですけども。
本当は寺の過去帳とかで、いつ来たのかとかも網羅できるといいと思うので、誰か地道な調査を是非…。
つうか、笹川邸、大昔に親に連れられて行ったけど、大人になってから行ってないので、そのうち行かないとなー。できれば専門の人に立ち会っていただけると良いのだが、地元のボランティアガイドさんがどの程度、詳しいのか…。
(参考文献)
松井圭介「新潟県の宗教空間一寺院・神社・教会の分布を通して一」
http://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/15/15.pdf
小田匡保「新潟県における寺社の分布と地域区分」
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/32564/rcr047-02-oda-j.pdf
※ヘッダ画像は新潟市さん公式から。