はい、ビールと地域活性化に興味をお持ちのみなさん、こんにちは、新潟県三条市でクラフトビールの店をやってる、いけのです。
市長に続いて副市長も変わった三条市で組織改革のプロジェクトが動くみたいですね。頑張ってください。
なんかさあ、戦後からバブル? までの日本って、とにかくヨーロッパとかアメリカに追いつこうって必死だったらしいんだよね。だから霞が関がちゃんと海外の政策を研究して、それを全国で真似してやってればよくて、地方の市とかに独自の政策なんていらなかったみたい。
でもさ、今は違うんだって。もう日本も経済的には欧米と同じような位置にいるし、少子高齢化だったら他の先進国よりも進んじゃってるし、あと、欧米とかはやっぱりキリスト教がベースの価値観だけど、日本は神道とか仏教の影響が残ってて、価値観が根本的に違う部分もあるよね。
それに、地域活性化? 最近、移住とかで人口を増やそうとしてるから、うちの市と他の市の違いを出さなきゃいけなくて、今はそれぞれの市が自分で考えて政策を出さないといけないんだって。
で、日本は民主主義の国で一応、市長は民主的に選挙で選ばれてるわけじゃん? だから、こういう時代に市長がリーダーシップを取るのは大事だけど、でも市長だって神様じゃないからさ。全知全能なわけじゃないよね。最終的な判断は市長がやるにしても、イチからああしろこうしろとか全部の仕事に指示出せるわけなくてさ。
実際にどういう政策を作るかっていうのは、その仕事をやってる職員が考えるのが一番いいんじゃない?って考えるんだよね。個人的にはね。プロッフェショナリズムって言うの?
でも、今の市役所の人って自分で考えるのが結構、苦手みたい。別にバカな訳じゃないんだよ。みんな難しい大学を出て、試験に受かって入ってるんだからさ。
今の市役所って終身雇用で年功序列が基本の組織だけど、それに能力主義も中途半端に入ってるみたいでさ、でも評価の基準がわりと曖昧らしくて、結局、上司がお気に入りを引き上げてるだけじゃないの?って職員の間では噂になってるみたい。
だから、職員は仕事を頑張るより、上司に好かれることが一番になっちゃうんだって。わりと一生懸命な人でも嫌われないようにしとこう、くらいには思っちゃうんじゃない?
ちなみに砂の中にじっと身を潜めて上だけ見てるから「ヒラメ」って言うらしいよ。
でもさあ、新しいことをやれば誰だって失敗する可能性もあるし、失敗するのはみんな怖いから、じゃあ、新しいことはやらないでおこうか、ってなりがちなんだって。新しいことに挑戦して成果を出しても評価されないのに、失敗したり、上司の機嫌を損ねたら出世に響くんだったら、まあ、誰も頑張る訳ないよね。
だからさあ、組織を変えるって言っても、おじさんたちは中々、考え方は変わらないだろうし、だからと言ってクビにも出来ないんだろうし、若い人が変わってくれることを期待するしかないよね。
若手の職員が今のうちに小さな失敗をして学ぶ経験をすることが大切なんじゃないかな。人間、痛い思いをたくさんして学習するわけじゃん。
若いうちに、失敗しても「ごめんなさい」で済むような、小さいプロジェクトを最初から最後まで担当してみると経験値を積めるんじゃないかな。どこで失敗しそうかとか、判断するのに事前にどういう情報を調べておくべきか、いろいろと見えてくるんじゃない? 失敗できないデカいプロジェクトで小さな役を任されることも大事かもしれないけどさ。
特に、そういう小さなプロジェクトだと市民の人たちと直接関わる機会も増えそうだから、市民が何を求めてるかも分かるようになるかもしれないし。
でも、それをどうやって具体的に進めていくかは、また別の話で、難しいことはよく分かんないけどね。
ってマックで女子高生が言ってた。知らんけど。
今日のヘッダも、とりんあーと先生です。
音声AIに突っ込むのも実験しようと思ったけど、ちょい使い方が分からんので省略。そのうち載せるかも。
【追記】
あ、まあ、俺個人は市役所職員が考えられる組織になった方がいいかっていうと、言われたことを確実にこなす組織として特化する道もあると思います。
その場合、誰が考える仕事を請け負うかって問題はありますが。コンサルみたいなキレイなお絵描きをする仕事じゃなくて、実際に現場で動く政策を立案するには、結局、現場を持ってる市役所職員が考えるのが一番いいと思うんですけどね。
あとは全員で考えるのではなく、考えるエキスパートとこなすエキスパートを分けるって道もありますけど、それは霞が関のキャリア官僚みたいな、何かヘンな特権意識を生みそうで結構、仕組みのメンテナンスが大変そうな気もします。